愛のサラリーマン

思考に情熱を、理解に信仰を、意思決定には魂を

社長の仕事と仕事の遂行を阻害する要因

社長の仕事とはなんだろう?

 

まず会社には目的がある。その会社の存在理由である。

 

しかし会社の目的が何であれ「継続的に利益出す」という絶対的な必要条件を満たす必要がある。目的を達成するまでに会社を存続させる必要があるからだ。

 

「利益を出す」ためには人を雇い、その人を雇ったコスト(+もろもろのコスト)よりも多くの売上を立てなければならない。

 

そのためには適当にやっていてもダメだ。自分の強みと従業員の強みを理解し、それぞれが得意な(成果を出せる)仕事を割り当て、権限委譲する必要がある。即ち分業による生産性の向上を図るのである。なぜなら社長一人では目的を達成することができないからだ。

 

もちろん、顧客に圧倒的に支持されているプロダクトを提供し、高い利益率や高い顧客単価があればこうしたことはさして問題にはならない。

 

しかし大抵のプロダクトは(少なくとも初期段階においては)割と容易に模倣可能であり、そのプロダクトが模倣され始めると利益率も顧客単価も下がってしまう。

 

よって、高い利益率と顧客単価を維持し、継続的に利益を出すためには、かなり早い段階から模倣を防ぐ障壁を作らなければならない。

 

とすると結局の所、分業によって生産性を高く保つことが必要なのである。他者よりも生産性(成果/時間)が劣っていると、先行者優位などすぐに吹き飛んでしまう。

 

一方で利益を出すだけでなく、従業員をしっかり統率しなければならない。でなければ、従業員からの不満が噴出し、内部から組織が崩壊する恐れがあるからだ。

 

 


 

 

経営者の仕事は「対外的な仕事」と「対内的な仕事」に二分することができる。

 

対外的な仕事とは、ビジネス戦略であり、対内的な仕事とは組織マネジメントである。

 

ビジネス戦略に関しては以下の問いに答えなければならない。

 

  • 我が社の目的は何か?何を達成せんとして会社組織として存続するのか?
  • また存続しなければならない理由は何か?
  • 上記の目的を達成するために中長期的に何を成し遂げるのか?
  • それが模倣されないために何をするのか?
  • 今期、何にどのくらいのリソースを投入するのか?
  • それをどのくらいの期間で成し遂げるのか?
  • 何を持って目的の達成と見なすのか? その判断基準は?
  • 目的が達成できなかった時の撤退基準は何か?
  • 誰がその仕事に責任を持つのか?その時の業務命令権と意思決定権は誰にあるのか?
  • それらをどういったプロセスで実行するのか?
  • ...etc(その他膨大な論点)

 

これらは即ち、ビジネスにおける目的と手段の構造を構築することであり、またその目的の達成基準や、達成までに与える期間、主たる責任者と責任者の保有する権限を定めることである。

 

組織マネジメントに関しては以下の問いに答えなければならない。

 

  • 我が社の目的は何か?何を達成せんとして会社組織として存続するのか?
  • また存続しなければならない理由は何か?
  • 我が社に必要な人材は何か?どういった価値観や能力(資質)を持っている人間か?
  • 価値観に合わない人間に対してどういった対応をするのか?
  • 会社の従業員に対する責任は何か?従業員の会社に対する責任は何か?
  • その時、双方が責任を果たしていると判断するための評価基準は何か?
  • 経営陣および従業員が責任を果たせなかった場合どうするか?
  • また、必要な人材を採用する時のポリシーや基準は何か?
  • ...etc(その他膨大な論点)

 

組織マネジメントに関するこうした問いは、我が社の社員となる人の持つべき資質、その評価方法、もし資質が無いと判断された場合の対応策を定めることである。

 

もしこれらが遂行されなければどうなるだろうか?

 ビジネス戦略に関する問いに答えられなければ、目的を達成できないどころか、目的を達成する上で絶対的な必要条件である「利益を出す」ことも(よほど強力なプロダクトを持たない限り)ままならないだろう。

 

というか、そんな状態ではビジネスにすらならない。目的を持たない大学のサークルと同じである。むしろ目的を持ってしっかりマネジメントされた大学サークルの方がマシな場合もある。

 

組織マネジメントに関する問いに答えられなければ、仮にビジネス戦略がしっかりと定義されていたとしても、それを遂行するのは困難だろう。

 

なぜなら、ビジネス戦略を実行するためには経営者だけでは無理だからである。つまり従業員の力が必要であり、その従業員に成果を出してもらうためには、彼らに納得感を持って働いてもらわなければならないからである。

 

もしそれに失敗すれば、従業員から期待する成果を得られないだけではなく、従業員の不満が噴出し、内部から瓦解することであろう。もしウィンプが多数派を形成したら経営陣はSlack上で言論によるリンチを受けるだろう。

 

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社長にしかできない仕事

対外的な仕事も対内的な仕事も、その大半は(適切な人材が確保できれば)委譲可能である。

 

しかし会社の根本にある価値観、目的だけは社長が決めなければならない。全てはそこから始まり、その前提がなければ組織は前に進むことができないからである。

 

またその価値観や目的は社長個人の信じるもの、即ち信仰であり、宗教である。

なぜなら、理解、前提、問いに対する解、これら全てが信仰によって決まるからである。

 

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つまり、社長の最も重要な仕事は会社という宗教団体の前提となる教義(Doctrine)を策定し、それを組織に徹底的に根付かせることである。

 

これはつまり、会社が受け入れる価値観排除する価値観を決めることであり、ビジネス上やっていいことと、やってはいけないことを決める(選択する)ことである。

 

そこに嘘も誤魔化しもありえない。

 

ましてや外部のコンサルタントにビジョン・ミッション・バリューを決めてもらって、できあがったものに自己満足するなど論外である。(はあちゅうやイケハヤの方がこの点マシである。)

 

(※ 筆者が前に所属していた会社のビジョン・ミッション・バリューは外部のコンサルタントと社長が適当に決めたものであり、組織には根付いていなかった。さらに、会社の入り口に掲げられていた大きなビジョン看板には誤字脱字が存在していた

 

もし社長が会社の教義を決められないのであれば、「我が社においては法的に許される限り金儲けが全てである」というような、一般的に批判される価値観でも立てた方が数段マシなのである。

なぜなら組織はその価値観に基づき、少なくとも前進するからである。

 

しかしこうした価値観を決めて、組織に根付かせることができる社長はほんの一握りだ。

 


 

少し真面目に考えてみよう。

社長が物事を決められない要因は何だろう?

 

仮説その1 ~ 批判が怖い ~

人は誰でも人の目を気にする。なぜならば批判が怖いからである。

それは社長も例外ではなく、というかむしろ社内の人間の中では、社長が最も批判の矢面に立たされる存在であるから、批判を避けたいと感じる傾向は強い。

 

他人からの批判などただの慣れである。また、批判が来ても大丈夫なように考えて論理武装をし、自らの主張を表明するわけであるが、大抵の人は慣れていない。大勢からバッシングされた経験など、ほとんどのベンチャー企業の社長は持たない。

 

そして、自分は可愛いものであるから、批判はできれば避けたい。

こうした自己愛による抵抗感で決めることができないケースもある。

 

物事を決めるということは、受け入れないことを決めるということである。よって決断には少なからず反発が生まれ、批判に変わる。

 

社長は批判を受け入れることができる度量を持った人格者でなければならない。

嫌われる勇気を持とう(適当) 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

仮説その2 ~ アジャイル教徒 ~

社長が意思決定を先延ばしにする理由としてよく使われるのがアジャイルという最強のご都合主義的パワーワードだ。

 

「とりあえずまずやってみよう!じゃないとわからないよ!」

 

こうしてとりあえずやってみるものの、絶対に振り返らないし、最終的に決定もしない。

 

そもそも、マーケティングなんかの施策ならまだしも、会社の教義などアジャイルするものではない。またアジャイルという言葉の生まれた背景や意味も理解していない。

 

殆どの場合、ただなんとなく「みんなが良いと言っているから」程度の理解のもと、大して考えもせず使っているだけである。

 

アジャイルという言葉には気をつけよう。

 

というかこれはアジャイル以前に、単なる思考能力の欠如である。

 

要因その3 ~ 日々の業務のことしか頭にない ~

上記に挙げた2つの要因は、社長が決めるべきこと、自分のなすべき仕事を認識している場合にのみ有効である。

 

というかほとんどの社長はビジネスを伸ばすことや現場を回すことに集中していて、より上段で決めておかねばならないことを認識していない。(ビジネスを伸ばさないと資金調達できず死ぬからである)

 

そして、順調にビジネスが成長し社員数が増えてきた時に、実は自分が運営してきたのが会社ではなく、動物園であったことに気が付く。 従業員たちが喚き出すからだ。

 

「うちの会社はどこに向かっているんだ?わからない!」

 

「こんなものは、どこにでもあるただのツールではないか!こんなんじゃワクワクしない!」

 

「入社前のビジョンなんて嘘っぱちではないか!現実的な戦略を立てろ!」

 

「評価制度に納得がいかない、何で俺の方があいつより給料が低いのだ!」

 

「そもそも残業代を払え!」

 

しかし会社が育ち、人が増えてからの教義策定には痛みが伴う。

価値観に合わない人間を排除しなければならないからだ。

 

また策定した教義から生み出される人材評価制度の基準を満たさない既存のミドルマネージャーも出てくる。(昔からいて業務を知っているという理由だけで存在するマネージャーにありがち)

 

しかし会社の教義は絶対だ。 

一貫性を保つべく彼らを降格せざるを得ない。

退職に追い込むこともあるかもしれない。

 

しかし、そうすると業務が回らないので排除できない。

ドルマネージャーを慕っているメンバーからバッシングを受ける。

今まで黙認していた善良なサイレントマジョリティまでもが、その露骨さ故に声を上げるようになる。

 

ここまで来るともう変えられない。更に動けなくなってしまうのだ。

 


 

ここまで書いておいてなんだが、これらの要因は些末なものに見えてきた。

要は前の記事に書いた「誠実であれ、思考せよ」ということに尽きるのだと思うわ。

 

つまり、しっかりと考えることに妥協しなければ、誠実になれるのです。

 

逆に誠実であれば、考えるべきことを放置したまま部下に依頼などしないでしょう。部下が困るのはわかりきったことだからです。

 

つまり思考するが故に誠実になり、誠実であるが故に思考するのです。

よって、この2つは同義と言えます。

 

もちろんビジネスにはスピードが重要です。

考えてばかりで行動できない人は批判の対象になります。

考えていることを理由に行動しないのは、単なる甘えです。

 

しかし逆もまた然りです。

 

スピードを理由に考えることを放棄することも、やはり単なる甘えなのです。

  

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