愛のサラリーマン

思考に情熱を、理解に信仰を、意思決定には魂を

自己責任論者(マッチョ)の思考を妄想してみた

こと職場に限った話、自らの身に起きる全ての不利益は自分の能力不足が引き起こした結果、つまり自己責任です。

 

社内政治に負けて会社を追われても、誰かに裏切られて社内の評価が下がっても、仕事も予算も社内政治家に根こそぎ横取りされても、自分の能力不足にしか帰着しません。

 

社長のせいにも、上司のせいにも、部下のせいにも、同僚のせいにもなりえません。あなたが感じているその屈辱感は誰も肩代わりしてくれないからです。

 

人はこうした不条理(まぁ、大した不条理でもないですが)に直面した場合の反応として二択あるように思われます。

 

第一に、腐ってウィンプ化です。文句、愚痴、批判、陰口、罵詈雑言、なんでもござれです。

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対局として、今後一切を不利益を自分の能力不足のもたらす結果であると固く誓い、それらを二度と起こさないような対策を本気で考え防衛策を展開する、いわゆるマッチョ化です。

 

さて、そうしたマッチョの視点で、彼の所属する社員数50名のスタートアップを見るとどのように映るでしょうか?

 

まず目に付くのは、会社のあらゆる問題を認識しながら、これと言って具体的な解決策を提案するわけでもなく、「戦略がないですね〜」とか「うちの会社ってどこに向かってんだっけ〜?」といったウィンプ達によるチャット上のネガティブコメントです。

 

しかもあろうことか、本来であれば経営陣をサポートするべき立場にあるミドルマネージャーがその議論を煽動しているではありませんか!

 

またマッチョは、こうした会話を目にすることで、真面目に仕事をしている部下のモチベーションが下がっていることを確認します。

 

ウィンプ同士グループになることで、オープンな場でネガティブな発言をする障壁が下がり、会社批判だけでなく、他の部署の行った仕事に対し、巧妙にネガティブなニュアンスを混ぜ込んだ質問を投げかけています。

 

マッチョの目にはウィンプ達が群をなし、ネガティブ要素をばら撒き、他の善良な従業員のパフォーマンスを下げているように写ります。

 

これは敬虔な自己責任教徒であるマッチョにとって許しがたい行為です。

 

「あなた達は問題を認識しながら、それについて何か行動を起こしたのですか?経営や上司の文句を言うならせめて提案の一つでもしてからにしてはいかがですか?」

 

と、紳士的かつ教育的なコメントをチャットに打ち込み、感情のまま正義の鉄槌を下そうとしますが、あと一歩のところで手を止めます。

 

そして冷静になり、自らに問いかけます。

 

「なぜ彼らはこんなに毎日毎日飽きることなく文句を言っているのだろうか?」

 

マッチョは考えます。仮説的推論で原因を挙げていき、ある結論に至ります。

 

これは経営陣と一部のミドルマネージャーが無能なのが原因だ。

 

よくよく考えて見れば、経営戦略や会社のビジョンを決めるのは経営者の仕事だ。

そして、我が社には明確な経営戦略もビジョンも策定されてはいない。

よって、経営者は仕事をしていない!

 

対偶によって結論の導出します。

 

チャットの目立たない部屋でコソコソ文句を言っているウィンプ達は許しがたいが、彼らの気持ちもわからんでもない。

 

提案しようにも彼らにはその能力はないし、仮に提案したとしても今の経営陣は耳を貸さないだろう。

 

そして、経営陣は本来やるべき仕事を遂行していないのだ。そりゃ文句も言いたくなるものさ。だってそれがウィンプだもの。

 

 彼の中でフォーカスすべき論点が定まります。

 

 「無能なウィンプたちをどうするべきか?」

 「無能な経営陣をどうするべきか?」

 

ウィンプ策に関して、彼は一つの事実に着目します。

 

── 経営陣は会社の戦略だけでなく、人事評価制度やビジョン・ミッション・バリューの策定も行っていない

 

であれば、経営陣に働きかけ「バリュー(価値観)」だけでも決めてしまおう。

そして、何もしていない人事責任者の代わりに自分が評価制度を設計し、先に決めたバリューを評価項目に組み込んでやろうではないか。

 

彼が評価制度に組み込む価値観はもちろん 自己責任 という正義の価値観(宗教)です。

 

そうすれば評価制度を通じてウィンプは駆逐されるに違いない。

 

居心地の悪くなったウィンプは黙るか、会社を去るだろう。

 

どうせ提案の一つもできない無能集団だ。自分たちがなぜ居心地が悪くなったのかすら気が付かないに決まってる。

 

よし。対ウィンプはこれでいこう。では、対経営陣はどうするべきか?

 

しかし彼はここで決断を迫られる。

 

経営者がバカで、傲慢で、仕事をしないのは、恐らくもう変わらないだろう。

 

そして仕事をしないクセに、他者の仕事を偉そうに評価し、その割には何も決められず、リソースを無駄遣いする悪癖も今後治ることはないだろう。

 

こうした無能な経営陣を「なんとかする」ことの意味とは、この会社にいる限り彼らを教育し続けていくということだ。そして教育を通じて、裏で彼らをコントロールするということだ。

 

それは私にとって何のメリットがあるだろうか?

また、それは私が本当にしたいことだろうか?

 

 マッチョは悩みます。どう考えても今の経営陣は信頼にも尊敬にも値しないからです。

 

結果マッチョは会社を去ることにしました。信頼、または尊敬できる経営者を求めて──

 

しかし、彼が信頼できる経営者を見つけることができるのかはまた別のお話。