愛のサラリーマン

思考に情熱を、理解に信仰を、意思決定には魂を

私が転職する際に必ず確認するたった一つのこと

 

転職の時、会社を選ぶ基準は多々存在しますが、我々サラリーマンは何を重要視すべきでしょうか?

 

  • 年収?
  • 仕事の内容?
  • ポジション?
  • 成長できる環境?
  • 身につけたいスキル?
  • 獲得したい実績?
  • やりがい?

 

いいえ、違います。

 

上記に挙げた要素は二次的なものです。もっと重要視すべき要素が他にあります。

 

前提として、そりゃーみんなやり甲斐のある仕事がしたいです。その仕事を通じてスキルを獲得し、成長したいです。その仕事ができるポジションを得たいと思います。また、そのポジションや責任に見合った報酬が欲しいと考えています。

 

しかし転職の際に考慮すべき最重要要素は、そこで働く「人」です。ポジションとか、スキルではありません。

 

なぜか?

人は信頼できる、または尊敬できる人と働くことで自分のフルパワーを発揮できることができるからです。

我々は信頼できる人間と協力し、お互いの欠点を補いながら、身も心もフルパワーで働くことで、新たなスキルを獲得したり、成果を出すことができるのです。

そうなれば自然と年収は上がるでしょうし、魅力的な仕事も必ずついてきます。

 

これは「環境に左右される」という意味ですので、プロフェッショナルとしてはあるまじきことです。しかし、環境に全く左右されないプロフェッショナルは転職の条件をいちいち気にする必要はありません。どこでもいいから転職して、成果を出し、出世街道を駆け上がれば良いのです。

 

逆に他の全てが満たされても、「人」が満たされない限り充実したサラリーマンライフを手に入れることは絶対にできません。

 

やりがいがあり、スキル獲得ができそうであり、成長機会が豊富にあると思われ、十分に魅力的なポジションと報酬を提示されたとしても、その職場に信頼できない人ばかりで、彼らが多数派を構成していると、給与やポジションと言ったの理想の条件は全て幻だったことに気がつくでしょう。(多分入社2-3ヶ月目あたりで)

 

あなたを真に待ち受けているのは、そんな理想の仕事ではありません。腹の探り合いの場と化し、誰も本音を話さない会議や、仕事しないのになぜか評価される人間の横暴なコミュニケーション、社内政治力で実質的な評価が行われるが故に、顧客に向き合う代わりにひたすら社内を向く、いいえ、向かざるを得ないような仕事です。

そして、そんな中でも頑張って成果を出したあなたを差し置いて、コミュニケーション力で場を支配したり、利害関係を調整することに長けた別の彼が先に昇進するのです。

 

ですので見せかけだけのピカピカ求人に騙されず、「その会社に信頼できる人が多数派を形成しているか」、この点を必ず確認するようにしましょう。

 

 

 

── 閑話休題

 

 

 

では信頼できる人とはどういった人でしょうか?

 

第一に誠実な人です。

これは特に上司に対して当てはまります。具体的に言えば「立場にモノを言わせない」人です。

 

そもそも前提として、(自分が社長でない限り)サラリーマンには上司が存在します。

上司自分の部下の仕事の内容、仕事のやり方について決める権限を持っています。彼らの成果はチームの成果で評価されるからです。

当然ですが、社長は全員に対するコントロール権限を持っており、社長の評価は会社の業績により決まります。

 

この権限は法的には「業務命令権」と呼ばれます。これは労働契約に含まれており、入社する前に労働契約に合意して入社しますので、我々サラリーマンは業務命令には従う義務があります。

 

つまり業務命令権を持つ人は立場にモノを言わせることが法的に可能です。

 

一方で人が仕事をするためには納得感が必要になります。それは、論理的にも、感情的にもです。納得していない仕事をワザワザ好き好んでやりたいと思う人なんていないからです。

 

しかしながら、業務を依頼する側の人間にとって、業務命令に対していちいち部下と合意形成し、納得してもらうのは非常に面倒になるケースがあります。

 

例えば「◯◯をして欲しい」という依頼を上司から受けた場合、「なぜその結論になったのか」、「その結論の前提は何か」、「その前提はなぜ正しいと考えたのか」、「またそれをやることの目的は何なのか」、等々について上司の考えを十分に理解する必要があります。なぜなら、そういった理解が不十分であると依頼者の目的を達成できなくなる可能性があるからです。

 

しかし、こうしたコミュニケーションは常にスムーズに行くわけではありません。依頼の前提が正しいのか、間違っているかについて両者の間に深い溝があることが明らかになる場合もあります。

 

なぜなら、前提とは理解であり、理解とは信仰だからです。

 

そうした溝をお互い感情的にならずに埋めていくプロセスは、時間もかかればお互いの心理的負担も大きいのです。特にその依頼が誰かの利害に影響を与えるものだと特に、です。

 

これは仕事を依頼する側としては非常に面倒です。

 

「つべこべ言わずに、指示通りやれ!」と言いたくもなります。法的にもそうした権利があるわけですから。そうしたマネジメントを是とする会社もたくさんあるでしょう。

 

 

また、どうしてもやらなければならない仕事があり、合意形成をする時間的猶予も無い場合もあります。

 

しかし、そうなった場合に「いいからやれ!」という方法もあれば、大切な前提を隠して本当の理由を言わずに誤魔化して乗り切る方法もあれば、

 

「十分な説明ができずに、すまない。しかしこれはやらねばならない仕事であり、それを行うのはあなたが適切だと私は考えている。だから今回はお願いできないだろうか」

 

という誠実なコミュニケーションを取る方法もあるわけです。

 

 

どういった方法を取るのかは、その人次第であり、人のスタンスは容易には変えられません。変わらないと思った方が良いでしょう。

 

── 業務命令権を持つからこそ、誠実である。

 

このことは「権限の誘惑と戦い、決して楽な道に流されない」覚悟が必要なのです。

 

しかし、会社において全社員が誠実なんてことはありません。そんな無菌室のようにクリーンな職場など存在しません。

己の目的のために誠実さを演出し、他人の信頼を獲得してはいるが、実際のところ何の誠実さも持ち合わせていない人もいます。またそういう人を見抜ける人もいれば、見抜けないで騙されてしまう人もいます。

 

そうしたカオスの中で我々は仕事をしています。

 

それを認めつつ、いや、認めるからこそ、私はこうした面倒なことを誠実さを持って行う人を信頼し、そして尊敬します。

 

そして、できればそのような方と一緒に仕事がしたいと思っています。

また、自分もそうありたいと考えています。

 

第二に考える人です。

実は「十分に考える人」というのは「誠実な人」であり、逆もまた真なのです。

 

なぜでしょう?

ある対象についての理解が十分深い場合、その対象についての誠実な説明ができます。

 

先程の業務依頼の例だと、

 

『前提として会社はこういった課題を抱えている。

その課題の優先順位はこのように考えている。なぜなら...だからだ。

 

そこで私は◯◯の責任者として、この課題を解決したいと考えている。

 

その課題の解決策としては、こういった手段があり、私はこういう理由でその中からこの解決策が良いのではないかと考えている。

 

そこで、この手段を実行したいと考えているが、その方法としてこういった作業分解をもとにやっていきたいと思っている。理由としては...だからだ。

 

そこで、あなたにはこの仕事をやってもらいたいと思っている。なぜなら...といった理由で、チーム内ではあなたが最も適任だと考えているからです。

 

どうでしょうか?』

 

十分に考えていれば少なくともこのくらいの説明はできます。

嘘が無ければ、こうした態度は誠実だと考えられます。

 

つまり、しっかりと考えることに妥協しなければ、誠実になれるのです。

 

逆に誠実であれば、考えるべきことを放置したまま部下に依頼などしないでしょう。部下が困るのはわかりきったことだからです。

 

つまり思考するが故に誠実になり、誠実であるが故に思考するのです。

よって、この2つは同義と言えます。

 

もちろんビジネスにはスピードが重要です。

考えてばかりで行動できない人は批判の対象になります。

考えていることを理由に行動しないのは、単なる甘えです。

 

しかし逆もまた然りです。

 

スピードを理由に考えることを放棄することも、やはり単なる甘えなのです。

 

誰も完璧ではない

「誠実である」ということは、非常に高い基準です。

もしかしたら、誰も誠実ではないかもしれないくらい高い基準です。

もちろん私も誠実さを完璧に実行できているとは思いません。 

 

しかし、これは価値観の問題です。

 

この価値観を受け入れるか受け入れないかは、各々が選択できます。 

 

それは「誠実であろう」とする意思があるかどうか、その道を選択するか否か、つまり各々のスタンスの問題なのです。

 

だからこそ、私はそこを確認するのです。